
今回は、太郎冠者が謡う「玉ノ段」の謡と、その舞をご紹介します。
玉ノ段
もしこの玉を取り得たらば、この縄を動かすべし、その時人びと力を添へ、引き上げ給へと約束し、ひとつの利剣を抜き持つて

ここから「玉ノ段」が始まります。言葉による「語り」口調ではじまり、「ひとつの利剣を抜き持って」から節のある謡となります。
かの海底に飛び入れば、空はひとつに雲の波、煙の波を凌ぎつつ、海漫々と分け入りて、直下と見れども底もなく、ほとりも知らぬ海底に、そも神変はいざ知らず、取り得んことは不定なり。かくて竜宮に至りて、宮中を見ればその高さ、三十丈の玉塔に、かの玉を籠め置き、香花を供へ守護神は、八竜並み居たり、そのほか悪魚鰐の口、逃がれがたしやわが命、さすが恩愛の、古里のかたぞ恋しき。あの波のあなたにぞ、わが子はあるらん、父大臣もおはすらん、さるにてもこのままに、別かれ果てなん悲しさよと、涙ぐみて立ちしが、
海の底深く飛び込むと、あまりに深くて底が見えず、玉を取り戻すことは到底無理だと思えた。竜宮城では30メートルを越える高さの美しい塔に玉を安置し、八竜王や怖そうな悪魚たちが守っている。絶体絶命に違いない。愛する我が子やその父である大臣もいらっしゃる故郷が恋しいと涙ぐんで立ち尽くしていたが、
また思ひ切りて手を合はせ、南無や志度寺の観音薩埵の、力を合はせて賜び給へとて、大悲の利剣を額に当て、竜宮の中に飛び入れば、左右へばっとぞ退いたりける、
きっぱり思い切って覚悟し、故郷志度寺の観音に願いを込め、小さな短刀を額に当てて、竜宮の中に飛び込んでいくと、悪魚たちはその勢いに押されて、左右にぱっと退いて道を空けた。

謡は旋律の上下を強調した「弱吟」から、旋律は上下させずに息づかいを変化させて謡う「強吟」へと変化し、激しくたたみかけるようなリズムの謡となります。〈寝音曲〉ではこのあたりで太郎冠者は立って舞い始めます。
その隙に宝珠を盗み取つて、逃げんとすれば、

右手に開いた扇を持ち、玉を掬い上げる所作をします。
守護神追つかく、

さっとにげて後ろを振り返り、追っ手が迫る様子を見せます。
かねて企みしことなれば、持ちたる剣を取り直し、

扇を畳んで短剣のように見せます。
乳の下をかき切り玉を押しこめ、

扇を逆手にして胸のあたりを真一文字に切り裂き、左手で玉をそこに押し込みます。
剣を捨ててぞ伏したりける、

扇を捨て、両足を組んで下に座り込みます。
竜宮の慣らひに死人を忌めば、あたりに近づく悪竜なし、

あたりを見回します。
約束の縄を動かせば、

扇を拾い、縄を動かす動作をします。
人々喜び引き上げたりけり、玉は知らず海人びとは、海上に浮かみ出でたり

扇を頭上に上げ、浮かび上がっていくように立ち上がります。
寝音曲<玉ノ段>


描いてくれた絵は、竜宮城に飛び込み、守護をしている龍神や恐ろしげな魚たちが、その勢いに驚いてさっと道を空けた隙に、宝珠を盗み取って逃げる場面です。玉を取る動作と後ろを振り返って追う者の様子を確かめるという型どころです。たった一人で演じますが、振り返ることによって、守護神が追っかけていることも感じられる、面白い型ですね。
授業ではまず能の〈海人〉の玉ノ段を見て、その後〈寝音曲〉を見るという方法を取っているので、〈寝音曲〉が〈海人〉をしっかり踏まえていること、さらに登場人物も地謡も居ず、たった一人で謡い舞うという結構大変な労力を要する見せ場となっていることがわかります。
狂言役者は能の謡や舞、所作などをきっちり修行し、それを基本形とした上で、さらにそこにおかしみを加えるという応用形で演技をしています。「玉ノ段」は能の舞としての面白さも伝えつつ、さらにそれを狂言風にアレンジしてかなり大げさに楽しげに舞っていきます。
和泉流は能の観世流を基本としているので、本曲においても、観世流の型で舞っています。ただし能よりも動作が大げさで、余分な動きも入っているので、こちらの方がわかりやすいという印象を持つ人も多いですね。
この後、自分の心臓を短刀で突き破り、そこに玉を押し込んで命綱を引くという、ドラマチックな展開となります。竜宮は死人を嫌うので、辺りには何も近づいてきません。約束通り海上では人々が命綱を引き上げて、海人はまんまと宝珠を持ち帰ってきたのでした。
太郎冠者は自分で謡いながら、写実的で激しい動作を繰り出し、舞い続けます。