[寝音曲(大蔵流)はじめに]登場人物とあらすじ

寝音曲(ねおんぎょく)大蔵流

登場人物

シテ(主役)  太郎じゃ
アド(相手役) 主人

前回和泉流の〈寝音曲〉をご紹介しました。今回は大蔵流茂山千五郎家の場合を取り上げます。大蔵流では江戸期に中絶していたのを、明治期初年に復活したものです。大筋は和泉流と同じですが、最後にうたう長いうたいが〈ほうぞう〉の「小歌」であることや、主人と太郎冠者の関係がかなり違っているので、全体の雰囲気が大きく異なります。また同じ大蔵流でも東京の山本東次郎家と、京都の茂山千五郎家では、かなり違う部分もあります。いずれも楽しい曲ですが、比較して見ると、狂言としての演技の幅や、展開のさせ方、結末などの表現に、随分幅があることがわかります。

この狂言は特に、配役によって二人の人間関係がガラリと変わって見える楽しさがあります。筋立てが単純なだけに、それがいっそう顕著に立ち表れてくるのでしょう。

岩田さんは、和泉流の時とはかなり違った絵を描いてくれています。同じ曲を二度目なので、その分慣れてきて細部にまで注意を払えるようになっていると言うこともあるでしょうが、太郎冠者と主人の醸し出している雰囲気が和泉流と全然違う絵になっていて、感心します。

授業で使用した動画1)は、4世茂山千作が太郎冠者を演じたものです。2000年11月14日に国立能楽堂で収録された『シリーズ現代の狂言 はな・寝音曲』(発売元 森崎事務所)で、主人は千之丞師がつとめています。〈附子ぶす〉の太郎冠者・次郎冠者コンビですが、今回は主従という関係で、使用人同士とはまたひと味違った面白みを見せてくれています。

1)茂山千作・茂山千五郎・茂山正邦・茂山宗彦・茂山千之丞:シリーズ 現代の狂言 花子・寝音曲,森崎事務所,2003年.

あらすじ

昨夜偶然家の前を通りかかって太郎冠者の謡の声を聞いた主人は、あまりのうまさに驚くと同時に、冠者が謡を謡えることに初めて気づく。次の日早速謡を所望すると、幼少の頃習っていたのを思い出して謡っただけですからと断るが、主人は聞き入れない。仕方なく酒を呑まなければ謡えないと断ると、主人はたやすいことと自分で台所へ立っていく。

これからしょっちゅう謡えとせがまれては大変と迷惑顔の冠者は、良い思案を思いつく。

主人は自らの酌で大盃になみなみと注ぎ、冠者が呑み終わるのも待てないくらいにさあ謡えと急かせる。太郎冠者は一杯では気が済まず、お代わりをせがみ目出度く三献呑んで、いよいよ謡うこととなる。ところが実は女ども(妻)の膝枕で寝ていてでなければ声が出ないのだと言い出すのである。

驚く主人は自分の膝を貸すからどうしても謡えと言う。冠者は仕方なく横になり、うたいを1つ謡う。主人が褒め、座って謡ってみろと言うので試してみるが、どうしても声が出ない。

主人はもう一度膝を貸すから謡えと言い、冠者は仕方なくまた横になって能〈放下僧〉の「小歌」を謡い出す。いい調子で謡い続ける冠者を見ていた主人は、時々冠者の頭を持ち上げてみる。初めのうちはその度に声が出なくなるが、それを繰り返す打ちに冠者は取り違えて、頭を上げると声が出て、下ろすと声が出なくなってしまう。そのうちに冠者は立ち上がって、朗々と謡いながら舞い出してしまう。

最後まで気持ちよさそうに舞ってしまった太郎冠者を見て、主人は「声もよう出て面白いことであった」と上機嫌で、恐縮して逃げる太郎冠者を「苦しゅうない、いま一つ謡え」と言いながら追いかける。

膝枕で「小謡」を謡う

〈放下僧〉の「小歌」は、『かんぎんしゅう』に「放下」として掲載されており、室町時代の流行歌謡の一つとして親しまれていたものです。花盛りの都の名所案内に始まり、揉まれるもの尽くしから、放下の使う楽器小切子へと繋げ、最後に祝言で締めくくられた、軽快な謡であり、能〈放下〉では後半詞章に合わせて舞います。

〈寝音曲〉では、前半では声が出る・出ないをスムーズに繋いで変化させながら繰り返して笑いを誘い、後半は少しオーバーな当て振り的な動作で楽しげに舞い謡います。

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特集

三宅 晶子

横浜国立大学名誉教授。中世日本文学(特に能楽)、古典教育を専門とする。『歌舞能の系譜――世阿弥から禅竹へ』(ぺりかん社、2019年)ほか、能楽・古典教育に関する著書多数。

岩田 千治

奈良大学文学部国文学科。高校・大学で美術部に所属し、第29回奈良県高校生アートグランプリでは、平面の部 特別賞を受賞した。奈良大学の講義ではじめて狂言に接し、その感動をイラストで表現している。

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