
一人狂言が終わり、妻との対話劇へと場面が移ります。
心配して途中まで迎えに来ていた妻と出会い、目が見えるようになったことを喜び合います。
見えるようになった目を「黒い涼しい目」と言っています。

地蔵堂で、目を開けて貰うには条件があると言っていたことが、いよいよ問題になります。

「地蔵菩薩もただは開けては下されぬ」と切り出しますが、とても言いにくいことのようです。
「必ず腹をお立ちやるなや」と念を押してから話し始めます。
夜半ばかりの頃でもあろうか。忝くも地蔵菩薩のお戸帳を開きゆるぎ出でさせられて、錫杖を以て、それがしが額を三度まで撫でさせられて、やれやれ不憫の者ぢや、そちは今まで迷惑さする者ではなかったれども、こちへ言はなんだによつて、久々難儀をさせた。その仔細と言ふは、今汝が連れ添ふ女房は、大悪縁。
扉を開いて出てこられ、錫杖で顔を撫でながらちっとも頼ってこないから長々と難儀をさせてしまったが、実はお前と女房は大悪縁だというのです。これには男もびっくりしたのですが、「早々帰って離別せい、今こそ明けてとらするとあって、此様に目を明けてくだされたが、何とありがたいことではないか」とありがたがっています。

妻は「ええ、腹立ちや腹立ちや」と地団駄を踏みながら、仲の良い夫婦を別れさせようとする地蔵に腹を立て、「してその返事は何とした」と聞くと、「早々帰って離別致しませうと申し上げたれば、お顔の様な美しいお声で、善哉善哉、もつとももつともと仰せられた」と、嬉しそうに言うのです。
地蔵に魅せられたようになっていますね。
妻は「あの川上の焼け地蔵の腐り地蔵めが、ぬかしをつたことわいやい」と、すごい迫力で怒りを爆発させます。
この絵でもそれが良く伝わってきます。
参考資料の映像1)でも、それまで美しく従順そうに見えていた妻が、頭から湯気を出すようにして怒りまくるのです。
1)野村万作,野村萬斎:狂言でござる DVDビデオ「野村万作狂言集」, 第4巻,角川書店,2001年.
この地蔵を悪し様に罵る様子は、外見との落差が大きいので、この狂言一番の笑いを誘います。

妻は「さてはわらわに暇をくれて、後でよい女房を持たうでな」と詰め寄ると、男は「そりやまた持たいで」としれっというので、妻はいっそう腹を立てます。
男は目が明いた幸せを放したくないので、妻と離縁しようと思っていたのですが、妻の気持ちはゆるぐことなく、絶対別れたくないと言い張ります。連れ添えばまた目がつぶれるがよいのかと男が確認すると「今までぢやと思ひをつたがよい(是までと同じだと思っておればよい)」と言い切ります。
そうまで言われて男は仕方なく離縁を思い止まります。
妻としては一旦開けて下さった目を今更つぶしはすまいという見込みがあったのですが、男は地蔵の姿を見、声を聞いているので、いやいやそうもいくまいと不安に打ち震えています。
男の決意は重いものがありますね。一旦外界を見てしまった喜びもつかの間、また暗闇に戻らなくてはならない不幸。妻を取るか目を取るか、難しい選択を迫られていますが、割に簡単に決意してしまいます。離縁はあり得ないとすぐに悟ったのでしょうか。

ここが2回目の「痛い」演技の場面です。「第2回 道中」で、石段に蹴躓いて転んだ時の「あ痛」とは違う種類の痛みですが、痛さ自体は多分同じくらい強烈なのでしょう。
