[木六駄(和泉流)第1回]主人から使いを頼まれる太郎冠者

木六駄(きろくだ)和泉流

太郎じゃ

附子ぶす〉と同じ装束です。労働者の仕事着としての決まりの衣装です。袖も袴も短く、動きやすくなっています。かたぎぬ(小袖の上に来ている袖の無い上着)の背中の模様にも注目しましょう。この太郎冠者は人を食っているようなキャラクターなので、それを象徴するような柄が選ばれていることが多いです。

おいノ坂の峠の茶屋も同じような扮装をしています。

主人

これも〈附子〉と同じような服装です。都の伯父も同様です。

最初の場面は、奥丹波のある家です。主人が太郎冠者を呼び出し、都の伯父の家まで、歳暮の品として木を六駄にと炭六駄、さらに自慢の手酒を一樽、手紙を添えて届けるように言います。

近年まれな大雪の年で、その日も今にも雪が降りそうなあいにくの天気、しかも一人の使いなので、太郎冠者は嫌がります。

一駄の分量

「駄」は馬や牛が背負う荷物の単位で、江戸時代には1駄36貫(約135キロ)とされていたようです。木は薪用ですね。広葉樹の場合だと約7キロずつ括ってあります。炭の方は炭俵一俵約15キロ(幅25㎝×長さ30~40㎝)なので、一頭の牛に9俵積んでいるということになります。

奥丹波から都までの道程

奥丹波から都まで、一体どのくらいの道程なのでしょう。奥丹波のどこなのかわからないので断定はできませんが、篠山あたりだと50キロは離れています。雪の山道を十二匹の牛を連れて行くには、ちょっと遠すぎますね。それよりは近くなのでしょう。丹波から都に出るには、とにかく老ノ坂峠まで行くのが大変なようです。そこから京都の丹波口までは山陰道の街道をだらだら下っていくだけで、前半に比べれば随分楽なようです。

主人は太郎冠者の気を引き立てるように言います。

当年は別して寒気も強いによつて、ぬのの綿も多う入れうず。足袋も切つてはかせいと、言ひつけて置いたれども、これもいらぬものか。

(今年は例年にも増して寒いから、着物の綿入れの綿も多くいれてやろう。足袋も新しいのを穿かせてやろうと言いつけておいたのだけど、これもいらないのだな)

これを聞いた太郎冠者は手のひらを返すように、上機嫌で行くことを承諾します。

命の危険もありそうな大変なお使いなのですが、暖かい綿入れと新しい足袋の誘惑には勝てなかったようです。これは一種のボーナスですね。現金支給ではない当時としては、節季ごとの決まりの支給以外に物品をもらえることは、とても嬉しかったに違いありません。

交渉成立、主人に続いて太郎冠者が退場します。

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三宅 晶子

横浜国立大学名誉教授。中世日本文学(特に能楽)、古典教育を専門とする。『歌舞能の系譜――世阿弥から禅竹へ』(ぺりかん社、2019年)ほか、能楽・古典教育に関する著書多数。

岩田 千治

奈良大学文学部国文学科。高校・大学で美術部に所属し、第29回奈良県高校生アートグランプリでは、平面の部 特別賞を受賞した。奈良大学の講義ではじめて狂言に接し、その感動をイラストで表現している。

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