
[次第]の囃子で白蔵主の面を付け、僧の扮装をしたシテが、杖をつきながら登場します。

[次第]は能の登場楽で使用される、穏やかな雰囲気の演奏ですが、狂言では大小鼓は床几にかけず、全員下にくつろいで居る時同様向き合って横に向いて座ったまま演奏します。笛は「ピッ」と一音短く吹くだけですし、大小鼓も大きな音は出しません。能ではないから本気は出していないのだという演奏ぶりです。
とはいえ登場楽を持った格式高い狂言なのです。
[次第]の演奏の後、「名残の後の古狐、名残の後の古狐、こんくわいの涙なるらん」と[次第]を謡います。「こんくわい」は狐の鳴き声に「後悔」が掛けられています。「最後に残った年老いた狐の身は、後悔の涙を流すばかりだ」くらいの意味でしょうか。
[次第]の後、[名ノリ]があります。これも能の形式に沿った形です。「ある者が1匹狐を釣ったら味を占めて次々狩をし、とうとう部類眷属をすべて釣られてしまい、とうとう自分だけが残ってしまった」と説明します。
男には白蔵主という伯父がいて、その人の言うことは良く聴くということなので、今日は白蔵主になりすまし、行って意見して狩をやめさせようと思うと言います。
白蔵主
猟師の伯父の白蔵主はその土地で尊敬されていた僧侶のようです。それに化けているので、頭から足まですっぽり狐の着ぐるみを着た上に、白蔵主の面を掛け、さらに角帽子という僧侶の被る頭巾を被っています。このため空気の流通が極端に悪く、酸欠状態になってしまいます。
後見は機会があれば角帽子の垂れを持ち上げて、新鮮な空気を送るという心得が必要です。


道中で、水に姿を映して上手く化けられているか確認する「水鏡」の型があります。これは秘事の一つで、重い習事となっていますが、万作師はただ下を向いて見るだけでは何をしているのかわからないだろうからと、能舞台の橋掛りにある欄干を利用して、そこから白洲を覗き込むという工夫をしています。これなどは、ドキュメンタリー1)で取り上げられていたので、自然に注目してみる場面となりました。
1)NHKスペシャル「野村万作 最後の<狐>に挑む」,1993年11月3日.


この後やはり能風の道行の謡「住みなれし、わが古塚を立ちいでて、わが古塚を立ちいでて、足に任せて行く程に、足に任せて行く程に、猟師の許に着きにけり。」があり、猟師の家に到着しますが、その時、ここ家の取り得は、犬がいないことだというセリフがあります。狐は犬が苦手ですから、番犬が居る家にはおいそれとは近付けないのです。ところがここで犬の声に驚いて、慌てふためくという見せ場があります。今まで沈着冷静な感じを一応保っていたのが吹き飛んで、オタオタする場面です。ここも型どころで、秘事となっています。
遠くの鳴き声であったことに気付き、落ち着きを取り戻します。
このあたりの落差は、無理に人間に化けている狐らしさがよく出ています。
狐らしさ
歩行や向きの変え方などに、狐らしい所作がいろいろあって、それらを見ているのも楽しいものです。