[釣狐(和泉流)第3回]白蔵主の物語

釣狐(つりぎつね)和泉流

殺せっ生しょう石せきの物語

狐はそもそも神であり、天てん竺じく(インド)では八しほの宮、唐とう土ど(中国)では如月(きさらぎ)の宮、我が朝では稲荷五社の大明神、これらすべて狐である。

ここに玉(たま)藻(もの)前(まえ)という女にょう御ごがいたが、四方八方どこからみても裏がない玉のような美女だというのでそう名付けられた。

あるとき帝主催の歌会で禁中の灯りがすべて消えたとき、玉藻前の身から光を発したので、人間ではなく化け生しょうの前だと言われた。

その後ほどなく帝が病となり、安倍あべの泰成やすなりの占いによって玉藻前の仕業と判明した。

実は玉藻前は根本狐で、それ以前に唐では七代の帝に取り憑いた。それが日本に来て、帝の命を取ろうとしているのである。

貴僧高僧の祈き禱とうは効き目がなく、泰成が薬師の法(薬師如来を本尊として行う密教の厄難を取り除く修法)を行うと、苦しくなって内だい裏りを飛び出し、下野しもつけの国(栃木県)那須野の原へ逃げていった。

三浦の介すけ・上総かずさの介が退治を命じられて、那須野の原で犬いぬ追おう物ものの訓練を行い、100日目に七尋(ひろ)(約12.6メートル)に余る大きな狐が飛び出してきた。一の矢を三浦の介が、二の矢を上総の介が射て見事殺した。

帝の病は平癒し、国も安泰となったが、狐の執心は残って大石となり、人ばかりか鳥獣までも取り殺したので、殺生石と名付けられた。

玄げん翁のうという僧が祈って石を打つと、石は割れて狐の執心は残ってしまった。

三宅 晶子

能の[語リ]の場面同様の、格式高い、ボリュウムたっぷりの見せ場ですが、内容が理解出来ると、面白く聞くことができます。

白はく蔵ぞう主すは床しょう几ぎに掛け正面を向いて語りますが、区切りのところで猟師の方を見、猟師は丁重に平伏して相づちを打ちます。能ではワキの役割にあたります。後見がシテの後ろに控え、床几が動かないように押さえています。鬘かずら桶おけの蓋は山なりでつるつるすべるので安定が悪く、しかも紙一枚隔てて座る心得があるそうです。楽そうに見えますが、立ったままの方がよほどやりやすい姿勢のようです。

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三宅 晶子

横浜国立大学名誉教授。中世日本文学(特に能楽)、古典教育を専門とする。『歌舞能の系譜――世阿弥から禅竹へ』(ぺりかん社、2019年)ほか、能楽・古典教育に関する著書多数。

岩田 千治

奈良大学文学部国文学科。高校・大学で美術部に所属し、第29回奈良県高校生アートグランプリでは、平面の部 特別賞を受賞した。奈良大学の講義ではじめて狂言に接し、その感動をイラストで表現している。

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